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21年目にして初めて知った春分の日

「21年目にして初めて知った春分の日」

21年前の昨日、28歳の時に「Bloom(ブルーム)」をオープン。

その10年前の18歳の時に自分の人生設計を立て、28歳でサロンを出し、その後も目標を負いながら二転三転しながらも
昨日でサロンをやってきて21年が経ちました。

当時、目標はありながらその目的を持っていなかったように思います。

大きな夢や目標はあれど、自分の命の使い方に「何のためにその目標を達成しなければいけないのか?」の目的がないものはかなり脆弱な人生になるんだという事も学んだ。

それでも一番の学びは、「春分の日」が毎年変わるという事実だ・・・(笑)

「Bloom」というのは「咲き誇る」だったり、スラングでは「女盛り」という意味もあるらしいが、

椿の山が「咲き誇る(Bloom)」ようにと1997年3月20日(春分の日)にOPENさせました。。。(実際には椿はこの時期にはほとんど散ってしまっているのだが・・・(´;ω;`)ウゥゥ)

しかし・・・

創業記念日として毎年告知するときに、21日だったり、20日だったり・・・あれ???

春分の日基準だと毎年創業日が違う違和感・・・・

この違和感を21年・・・・←相当なアホ

今年その違和感がやっと改善・・・

なんと春分の日は毎年変わるという事実・・・・

【春分の日】とは

春分の日は、春彼岸の中日(ちゅうにち)にあたり、国民の祝日にも定められています。

基をたどると、明治11年、太政官布告23号で定められた春季皇霊祭(しゅんきこうりょうさい)という祭日が始まりです。
※春季皇霊祭とは
毎年春分日に行われる歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式をいい、宮内庁が公開している皇室の「主要祭儀一覧」には、
「春分の日に皇霊殿で行われるご先祖まつり」と記されています。

時は流れ、昭和23年7月20日には、現在施行している「国民の祝日に関する法律」が制定されます。

この法律をもって、旧制の祭日であった春季皇霊祭は廃止となり、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日として春分の日という祝日に改められました。

国立天文台が、毎年2月の第一平日に発行する官報での公表をもって、翌年の春分の日が定められます。

春分の日は、国民の祝日とは違い、あらかじめ月日が定められてはいません。

椿山家の男たち

今日は何故私がこの薄毛やハゲの改善の道に進んだのかについてお伝えしたいと思います。

 

うちの家系は代々ハゲ家系で、祖父の「林蔵」は私が物心ついたときには波平さんだったし

 

父信吾は40代前半には禿げてカツラを手放すことはなく、かっこつけの父は休日ちょっとそこまで行くのにも帽子をかぶりハゲを絶対に見せない生活でしたし

 

その信吾の弟省二は8歳下で毎年夏には帰省してきていて、毎年会っていたんだけども30代半ばには禿げていたと記憶している

 

省二叔父さんもカツラをかぶっていた・・・・

 

その下の弟武人は信吾とは14歳年が離れていて、28歳の時に結婚式を挙げたんだけれども、その結婚式の時にはすでに禿げていたのだ・・・・

それを見て幼い私は恐怖を覚えたのです・・・・

 

なぜなら、生まれが若くなるにつれ禿げ始める年齢が早い!!!ということに気づいてしまったのです・・・

 

 

このままだと俺は二十歳そこそこで禿げてしまうのではないか!?!?と

この恐怖が今の発毛キャンプ®メソッドを作り上げ、GOCELLスキャルプジェルを完成させる原動力になったのです。

 

おかげでまだ髪の毛は頭皮にくっついてくれているのでこのまま爺さんになるまで維持しようと思っています~

 

そして一人でも多くの薄毛で悩んでいらっしゃる方のサポートができるように理美容サロンを中心に発毛キャンプ®メソッドを伝えていこうと思います!!

 

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ハゲ家系のミステリー

皆さんおはようございます。

いつも読んでくださりありがとうございます。

私のブログは基本自分自身の体験から書かせていただいておりますので、まだ知識が稚拙な時代の稚拙な体験談などは広い心で見ていただければと思います。

 

前回当ブログで書きました「判断基準」に関してたくさんの方にシェアしていただきましてありがとうございます。

シャンプーの判断基準という内容でしたが、このシャンプーに関して何故研究をするようになったのか!?をお話ししなければいけないと思います。

 

それは、このブログで書いた家系の男どものハゲが低年齢化し、私の番になると20歳そこそこでハゲチラカスのではないか!?という恐怖から調べ出したのですが、その結果何が判ったのか!?についてお話をしないといけないと思います。左の図の説明をすると、私の父信吾は昭和13年生まれ、その下の叔父1は8歳年下なので昭和21年生まれ、叔父2は15歳離れて昭和28年生まれなのですが、禿げ始めた年齢に違いがあるんです。

 

先ず、親父、信吾は40代前半から、、、カッコつけで、外見を異常に意識するところは元々あったと思うが、社交ダンスが得意で婦人会に教えていたこともあり禿げ頭では教えに行けなかったのだろう・・・常にカツラをかぶっていた。

理容室を経営していたので、昔、理容室等で販売していたカツラ「ツーペ」を自分でもかぶっていました。

この「ツーペ」とは部分カツラのことを「ツーペ」と言うそうだが、このツーペが販売されたのは1970年代、あの大手アデランスが創業する10数年前の話なのです。

カツラ販売のメインは理容室であったのです。

この頃のカツラはとても毛髪量が多く、それに伴い土台も分厚かったので、固定するために強力な両面テープを土台と頭皮の装着に使っていたため、接着部分がカツラを脱着の度にそこにある貴重な毛髪を奪い去っていくという悲惨なカツラで、四角く切った両面テープの形に頭4か所に円形脱毛ならぬ角形脱毛という笑えない頭になっていたのを今でもハッキリ覚えています。

 

8つ離れた叔父1は30代半ばにはカツラをかぶっていて、叔父2は28歳で結婚したのだが、その結婚式に出た私は叔父2のオデコの悲しい後退を見逃さなかったのです。。。

 

では、この産まれた年代によって禿年齢が低年齢化しているのには必ず何か理由があるはずだ!!ということで、そのまま行けば叔父2と18歳離れていた私は20歳そこそこで禿げるのではないかという恐怖から逃れるためにその原因を調査し始めたのです。

 

そこで判明した2つのキーワードがあります。

 

それは

 

「食」「シャンプー」

 

なのです!

 

の変化についても洗剤(シャンプー)の変化も大東亜戦争終戦を境に大きな変化をしているのです。

 

特に食については戦後の農地改革などもあり、かなり変化した時期でもありました。

 

洗剤は、主力の「石鹸」から「合成洗剤(高級アルコール系シャンプー)」へとシフトしていったのも戦後を境に起こった現象なのです。

 

体は「食」によって作られます。

特に生まれてから18歳までに身体はほぼ完成形となっていくのですが、この間に何を食べたのかが非常に重要なのです。

 

この「食」「シャンプー」の歴史については、それぞれに別の機会に詳しく書きたいと思いますが、ハゲの低年齢化の原因は

 

「食」と「シャンプー」に有り!!!

 

だということを確信したのですが、まず職業柄シャンプーが身近であったため、シャンプーの研究をするようになった経緯があります。

 

私がこのシャンプーなどの良し悪しを調べ始めたころは、現在のようにネットが普及しているわけでもなく、無添加化粧品メーカーが少なかったし、専門書も殆ど無かったので調べるのにすごく苦労した覚えがあります。

 

今や「無添加」「オーガニック」「ナチュラル」「自然派」と言ったような商品が多くなったし、ネットにはシャンプーのラベルに表示している成分を検索すればその評価が一発でわかる時代です。

体に対する洗剤の影響などの情報も沢山あります。

あるにもかかわらず、調べないのはなぜでしょう??

 

きっと以前の私のように、テレビや雑誌でコマーシャルしているものだから安心、安全だと思っているのでしょうか。

今や自分の髪は自分で守れる時代です!!

特に小さなお子様がいらっしゃる方にはしっかり調べて安心安全なものを使ってほしいと思います。

 

先端フレーキング事件 ーエピソード4-

おはようございます。

いつも読んで下さりありがとうございます。

発毛キャンプトレーナーの椿山です。

エピソード3までは読んでいただけましたでしょうか。

実際に身近で何かが起こらないと、他人事・・・

エイトの皮膚トラブルが元でメーカーを盲目的に信用するという事は無くなって、使っている化粧品類を一つ一つ検証していくことになるのです。

 

エイト事件の次に起こった事件とは・・・・

 

「先端フレーキング事件」です。

 

今ではやりませんが、若いころはヘアスタイルはコロコロ変え、カラーも頻繁にやり、髪の毛は結構ボロボロの状態だったのです。

 

セットは、どんな風が吹いてもビクともしないようにカッチカチに固まっていないと気が済まないタチだったので、スタイリング剤は超ハード系のものをタップリ使っていました。

 

事件の時は、有名メーカーのスーパーハードムースを使用していました。(現在は内容成分等が変わっていますので商品名などは伏せます。)

髪の毛がかなり傷んでいること、それにドライヤーをかなり長時間使っていたという事もあり、ムースの固める成分が毛先に残ってフレーキング現象が出ていたんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはシャンプーでも落ちないので、爪で剝がすしか方法がないのですが、毛先全体のフレーキングを全部取ってしまうというのはとても無理!

そこで、その大手メーカーのムースのボトルに記載されている「お客様相談センター」に電話してみることにしたのです。

すると、たぶんこんな感じの感じよさそうなコールセンターの女性が出ました。

私「あの・・・そちらのメーカーのムースを使っていたら、毛先に何やら白い付着物がついて、シャンプーしても取れないのですが・・・」

 

 

女性「それでしたらシンナーでふき取ってください。」

 

私「えっ??シンナーですか??」

女性「はい!シンナーで拭き取っていただければ落ちます。」

私「あの~シンナーでしか落ちないようなものが成分として入ってるってことですよね・・・?」

女性「はい」←かなり爽やかな受け答えで(;^ω^)

私「・・・・・」

あまりにもその女性の答え方の潔さに唖然とし、何も言えなく電話を切ったのですが、それから内容成分を検証してみてわかった事があります。

 

スタイリング剤の固める成分としてよく使われる「ポリXXXXX」という成分があります。

この成分は少し変更するだけで使用用途が広く、ポリ袋の原料から、医療に至るまで使われたりします。

ムースに使われた「ポリXXXXX」の場合は、ポリビニル系のものと同様な成分だったと記憶しています。

ポリ袋と同じような構造式ですから、そりゃシンナーで落とすしかないわけです。

 

髪の毛だけにつける分にはそれほど問題はないでしょう。

しかし、大量につけていた私は、サイドのボリュームを抑えるために地肌にまでしっかり届くくらい塗布していたので問題なのです。

先ずは、何が入っているのかちゃんと知った上で、注意して使わないといけないということです。

 

ホントに大手メーカーだから売れているからCMやっているから等の事で信用しちゃったらだめってことですよね。

 

特に頭皮に悪いスタイリング剤があります。

30年間、何万人もの頭を見続けてきて、このスタイリング剤を使っている方で禿ていない人は一人もいないくらい100%ハゲノモトとなるスタイリング剤があります。

それも皆同じような髪質ハゲ型をします。

 

これは、女性においても同じで、薄毛の原因となっていますが、女性は男性に比べその影響が出るのがかなり緩やかなので中々気づかないのですが、確実に薄毛になっているということは間違いありません。

 

そのスタイリング剤は・・・・

そのハゲ方も含め、機会を見て投稿いたしますね。。。

 

 

白猫エイトに起きた悲劇ーエピソード3-

“このブログ(エピソード)は、私が理美容業に入り、現在、日本一の発毛率を叩き出してるメソッドを構築し、その理論と今までの化粧品知識を生かして本当に結果の出る育毛剤の開発までの道のりを書いています。

このブログを読んでいただければ、私の並々ならぬ発毛への執念を感じていただけるかと思います。。。”

 

さて、前回のブログの続きですが、その後に起こったある出来事について書きたいと思います。

当時私は、白い猫を飼っていました。しっぽがにカギ尻尾になっている美人な猫で、エイトという名前の猫です。

このエイトは、というか、ほとんどの猫がそうであると思いますが、とても水を嫌がるんですね。

ですから、シャンプーをしてあげるのも一苦労

猫はほとんど体臭がしないので、シャンプーなどは不要っても言われてますが、当時は知らずにやってあげてました。

 

 

 

その時私が使っていたシャンプーは、今でも現役で売られている「l〇x」というシャンプーです。

前回ブログで書いたように、シャンプーの講習をしに来てくれた社長のことは全く信用していなかったので、相変わらず「匂い」や、「泡立ち」や、「価格」でシャンプー選びをしていた一人だったのです。

女性ならここに「指通り」や「髪のおさまり」とかも条件に入ってくるんでしょうね。

 

 

幼少時代からペットをずっと飼っていたにもかかわらず、ペット用のシャンプー剤があることなどつゆ知らず、自分と同じシャンプーで洗ってあげていたんです。

何時ものように、先ず濡らしてあげるためにエイトにシャワーをかけたときでした・・・・

ご存知の方もいるかと思いますが、白猫の毛は濡れると透明っぽくなり地肌が透けて見えるんです。

透けた地肌にあったのは1円玉硬貨ほどの大きさの地肌の炎症だったのです。

特に首筋には湿疹というか・・・炎症というか・・・とにかく気持ち悪いほどの状態だったのです。

これは人間の皮膚炎症画像

 

左の画像はイメージですが、こんな炎症のもっと隆起した状態のものがびっしりです。。。

 

 

 

 

 

そこで、思い出したのが、あのシャンプーの講習でした。

 

では何故、うちのエイトにこのような炎症が起こったのかと検証すると、前述しましたが、猫は非常に水を嫌い、シャワーで水をかけるとすごく嫌がって暴れるんです。

 

 

シャンプー剤を流すときにも、顔に水をかけないように首筋をガッチリと持って押さえ、シャワーをかけていたのですが、きっとその手で押さえたところが流しきれずシャンプー剤が残留したものだと思います。

それにより起こった炎症だったんです。

 

げっ・・・

 

本当だったんだ・・・・

 

こりゃやばいな・・・ハゲ遺伝バキバキの私には恐怖を感じた瞬間でした。

 

前回のブログで見せたマウスの写真を見たところで、読んでくださっている読者の方も同じ感覚だと思います。

「へ~~怖いなぁ~・・・」

でも他人事みたいな・・・

 

私もまったくそれと同じ感想でした

 

しかし、目も前でそれが起こると、そんな感想はぶっ飛んでしまいます!!

 

どんなに有名な企業の商品でも、盲目的に信じてはいけない・・・

ましてや、「美」を売る商売の我々はちゃんと自分自身で検証し、お客様が美しく、かっこよく、健康であるための商品を提供する責任があるんだとその時自覚したのです。

 

 

発毛キャンプトレーナーへの道 -エピソード2-

前回のブログでは「なぜこの道に?」というタイトルでしたが、「発毛キャンプトレーナーへの道」とタイトル変更します。

 

前回のブログでは、あるシャンプーメーカーの講習を受けてから・・・

というところで話が終わっていたと思います。

 

その講習の内容は

現在一般市場で発売されているシャンプーメーカーのシャンプーの皮膚トラブルについてでした。

それも有名どころのシャンプーがほとんどで、その中には当時私が使っていたシャンプーの銘柄も入っていました。

 

そういったシャンプーを使うことによる皮膚トラブルをマウスを使い実験している画像はかなり衝撃的でしたよ。(下写真)

今ではよく見る写真ですが、シャンプー名からも分かるように、かなり古いデータですので現在では参考にならない実験ですが、当時はビックリものです。マウスの背中の体毛を剃り、市販の合成洗剤(シャンプー剤)を塗布して5日目頃からこのような皮膚障害が起こり、出血し、凝固するものも出てきます

 

2枚目の写真(10日目)になると皮膚の炎症はさらに悪化しますが、体毛が生え始めるものも出てきますが、皮膚が徐々に浮き始めるのです。。。

 

 

 

15日目にもなると、皮膚の結合組織が破壊され、真皮も含めて剥がれ落ちてしまうだとか・・・・

 

こんな写真を見せられながら、シャンプーの講習が進んでいったのを今でも鮮明に覚えています。

 

その時の私の感想は・・・・

「いやいや・・・あの大手メーカーがこんな劣悪なシャンプーを堂々と販売するわけないじゃん!!」ってな感じだったんです。

 

要するに、そのシャンプーメーカーの社長をほぼ信用していませんでした。

 

が・・・しかし・・・私の身近である事件が起こるのです。。。。

 

 

何故この道に?

はい。。。今日は仲間内からはGOD KAMIと呼ばれているつばちゃんがブログを書いております。

毎日ブログ更新は毎日やるつもりはないのですが、やれる時にやっておきます。

 

このブログは、ハゲの改善に関するすべての情報をお送りしたいと思っております。

もちろん、全てですので、食・化粧品、育毛剤やシャンプー、医療や環境問題、社会環境に至るすべてが禿にかかわってきています。

26年間蓄積してきたすべてのネタを皆様に公開していこうと思っておりますので、よろしくお願いします。

 

では、ハゲ家系のサラブレッドが戦ってきたストーリーを何号かに分けてお送りします。

 

 

自己紹介で発毛研究26年とありましたが、危機を感じていたのは小学校の2年の時でしたから、もうかれこれ40年にはなるでしょうか

 

なぜなら・・・家系男子皆ハゲだったからなのです。

 

父方は祖父、親父、親父の男兄弟皆ハゲ・・・母方は知っているのは祖父のみでしたが、両方の家系にハゲがいるという事実と、父方の親父から親父の兄弟2人が年々若くしてハゲ散らかしているという事に小2で気づいてしまったのです。

 

親父は40歳初めにはかつらを手放す事はなく、その下の叔父(親父とは8歳差)は30代半にはかなりおでこが後退していて、その下の叔父(親父とは14歳差)は私がその叔父の結婚式(叔父が当時28歳)の時にはかなりやばい状態になっていたのです。      

 

私はいくつで髪の毛とお別れしなければならないのだろう・・・・と禿ることを小2で受け入れておりました・・・

 

実家が理容室をしていたということもあり、私もその道に進み、普通に理容師をしていたのですが、22歳のある日、この道に進む契機となるシャンプーメーカーの講習を受けることになります。

 

その講習を受けるまでは、実はハゲ家系のことはすっかり忘れていたのですが・・・・

 

ここから猛研究していくのです。